Fastly を振り返る : 10年間の懐かしい思い出
今月、Fastlyは創立10周年を迎えました。2011年3月3日、Fastly は正式に会社として設立されました (ただし、創設者の何人かはその数か月前から Fastly の基盤となる技術の開発に取り組んでいました)。この節目に Fastly で最も長く働いている社員数人に、初期の頃の Fastly での思い出、好きなことや楽しかったこと、Fastly の将来のビジョンなどを語ってもらいました。
初期の頃の Fastly のオフィスでは、10人に満たない小さいながらも精鋭なチームが集まってミーティングをしていました。
始まりのきっかけ
「前の会社では CDN に大きな問題がありました。ある日、CDN の設定変更を行うために朝7時に出社しました。変更のデプロイには8時間かかることが分かっていたからです。しかしその8時間後にフランスで画像の読み込みに問題が発生しました。私たちは CDN をいったんオフにしてオンにし、さらに8時間待たなければなりませんでした。このようにたった1行の変更を実施するのに、およそ17時間もかかったのです」
「ある日、Artur (創設者の Artur Bergman) にそのことについて不満を言うと、彼も同じ問題を抱えていたことが分かりました。私たちは、これより優れた CDN を構築できるもっと良い方法があるはずだと考えました。ある日、Artur はコードやロジックの多くをコアサービスから離れたエッジに移すアイディアについて語りました。そのとき、単に『ああ、面白そうなアイディアだね』という漠然とした気持ちが『それをやらなければならない』という意思に変わったのを感じました。世の中の Web サイトの構築方法が変わるかもしれないと思った瞬間でした。それからの私は、早くスタートしたくてうずうずしていました。私にとってこれが原点となるエピソードです。やりたいかどうかではではなく、やらなければならないと思ったのです」
—Simon Wistow、共同創設者兼 VP of Strategic Initiatives
2011年、自宅のリビングルームで Fastly のミーティングを行う Artur
「ある日、Simon の家にいたら Artur がやって来ました。話をしているうちに、彼は CDN を構築する場所のアイディアについて語ってくれたのです。彼はこれを『CDN の一種だけど、よりエッジコンピューティングネットワークに近い』と説明しました。当時、私は分散システムに夢中なオタクだったので、この話はまさに猫にまたたびのようなものでした。その次の日には、これを全力で支援する決心をしました」
—Tyler McMullen、Chief Technology Officer
Delancey Street のオフィスで新しいハードウェアを準備している Jason Cook
「Artur Bergman と Jason Cook (Fastly の Principal Engineer) のことは、Technical Operations のシステム管理者コミュニティで知っていました。Artur が自分の会社を立ち上げる計画について話し始めたとき、私は「心から尊敬している Artur や Jason と一緒に仕事ができる素晴らしい機会だ」と思いました。彼らは非常に優れた技術者でありエンジニアだったので、斬新で面白い仕事ができる絶好の機会になると思ったのです。スタート時には、もしこれが成功したら、私たちの人生で最も大きなことを成し遂げる機会のひとつになるだろうと話していました。このような経験ができる仕事は滅多にありません」
—Vlad Vuksan、Principal Sales Engineer
Fastly の成長
「当初から才能溢れる人たちに囲まれて仕事をすることができ、とても恵まれていました。また、新しいお客様に私たちが何かを説明し始めると、お客様の目が輝き出します。それを見ると、お客様の役に立つことができると実感できます。このような瞬間がすごく好きでした。スタッフの人数が増えてくると『こんなに優秀な人たちが一緒に仕事をしたいと思ってくれる理由はなんだろう』と考えていました」
「当時はまだオフィスすらありませんでした。私たちはサンフランシスコにある Sailor's Union of the Pacific Building のオフィスからスタートしましたが、その後 Artur のアパート、Delancey Street のアパート、そして Amy (VP of Workplace Creative Services の Amy Hammond) の口紅が溶けてしまうほど暑かったピザ屋の上に引っ越しました」
「当時はきちんとした会社という感じではありませんでしたが、新しい場所に移るたびに少しずつ成長しているように感じられるようになりました。そして、一緒に仕事をしたいと思ってくれる人たちが現われ始めると、本当の会社になったような気がしました。特にそう感じたのは、一度離れたお客様が私たちに協力してくれるようになったり、Fastly を去った社員が戻ってきた時です。Fastly は、みんなが働きたいと思う場所になりました。今でもそれは変わりません」
—Simon Wistow、共同創設者兼 VP of Strategic Initiatives
ピザ屋の上という好条件にもかかわらず不評だった Fastly のオフィス
「自分たちですべてのものを運ばずに、初めて引っ越し業者を雇った時のことが一番の思い出です。私たちはそれまでに何度もトラックを借りたり自家用車を使って、オフィスの引っ越しを自力でしてきました。だからこそ人に助けてもらえたことはとても嬉しいことだったのです。手ですべての荷物を運んで通りの向かい側のオフィスに引っ越したこともあります。その途中、Tyler がオフィスチェアで坂道を転げ落ちる事件もありました。また、サンフランシスコの Folsom 通りにあるピザ窯の上のオフィスで仕事をしていた時は、口紅が溶けてしまうほど暑かったので、バッグを床の上に置くこともできませんでした。実際、あまりに暑いので氷を入れるタイプの蒸発クーラーを買いに行かなければなりませんでした。その時は本当に暑かったです」
—Amy Hammond、VP of Workplace Creative Services
通りの向かい側にある Fastly の新オフィスに段ボール箱を運ぶ Simon Wistow と Ryan Richards
「一時期、市場で SSD がとても不足していました。このSSD が品薄状態の時に数百個も調達することができたのは良かったものの、かなりの金額を支払いました。UPS が配達してくれたのですが、サンフランシスコのオフィスの前に置き去りにしていったのを覚えています。私にとっては、何千ドルもするようなものを無造作にドアの前に置いていくのを見るのはとても奇妙な体験でした。そのことは今でもとても鮮明に覚えています」
—Vlad Vuksan、Principal Sales Engineer
これからの道のり
「解決すべき問題はまだまだたくさんあります。私たちは、エッジコンピューティングの入り口のアイデアにたどり着いただけです。やるべきことはまだたくさんあるのです。そのような大きなビジョンを持っているところは他にないと思います」
—Tyler McMullen、Chief Technology Officer
「私たちが、5年後、10年後にどんなものを世界に提供できるか考えると、期待に胸が膨らみます。スケーラブルなアプリケーションとは、世界中で利用可能で、高速かつ安全で、信頼性の高いものでなければなりません。それこそが、私たちがお客様に提供すべきものです。Fastly を使用してアプリケーションを構築するお客様は、単にアプリケーションを機能させるだけでこれを実現できます。パンデミックではこれが実証されました。Fastly の最も先進的なお客様の中には、トラフィックスパイクにうまく対応している企業があります。それが可能なのは、そのお客様が最先端の Web アプリケーションをうまく機能させる方法を構築しているからです」
「私たちがやろうとしているのは、より優れたインターネット、より高速なインターネット、より公平なインターネットの構築を支援することです。アプリケーションは世界中どこでも同じくらい高速に動作すべきです。そして世界中どこでも同じように安全でなければなりません。私たちは、アクセスの増加に対応できるアプリケーションの構築をサポートし、スケールできないことが原因でアプリケーションの作成を断念することがないようお客様のアプリケーション構築を支援していきます。—Artur Bergman、共同創設者兼 Chief Architect
Velocity カンファレンスに出展した Fastly のブース